“任侠演歌”でヒット 君夕子さんは10坪スナックのママに

日々の生活にhappyをプラスする|ハピタス

 一昨年亡くなった高倉健、菅原文太の2人が今でも時に芸能マスコミをにぎわすように、何だかんだといいながら、男は大好きな任侠の世界。カラオケでも根強い人気を誇っている。きょう登場の君夕子さん(65)は85年、「昭和任侠伝」をヒットさせた演歌歌手。今どうしているのか。

■カラオケスナックを19年

「いらっしゃい。カウンターにどうぞ」

 大阪は城東区。市営地下鉄緑橋駅から歩いて3分の飲食ビル2階にあるカラオケスナック「君夕子の店」を訪ねると、笑顔の本人がいた。

「96年に歌手辞めて、大阪に戻ってきたんですわ。明くる年の2月にここをオープンしたから、19年になる計算ですか」

 10坪ほどの店内はカウンター10席に5人掛けのボックス席。こぢんまりしている。

「歌手時代にいっぺん歌辞めて、赤坂のTBS近くに『夕子』ってサパークラブを出したんです。そこが35坪あって、キャパは45人ほど。女のコも10人以上使うてた。そうしたおっきい店は忙しい時は活気があっていいですよ。ただ、ヒマな日が続くと頭痛ぁなってくる。大阪に戻ってまで、そんな思いしたないですよ」

 北新地やミナミという選択肢はなかった?

「ないない。96年ゆうたら、ワタシが50歳直前やからね。着物着て勝負かけるようなトシちゃいますやろ? 1人5000円ポッキリで、ハウスボトル飲み放題、カラオケ歌い放題。女のコと2人で切り盛りしてる方がどんなに気が楽か」

 さて、東大阪市生まれの君さんは歌手を目指して上京し、船村徹門下生に。69年10月、千麻田玲子の芸名で「汽車のあなた」でデビュー。その後、レコード会社を移り、70年、「神様がまちがったのね」で再デビューした。

「当時はやってたのが由紀さおりさんの『手紙』や奥村チヨさんの『中途半端はやめて』、日吉ミミさんの『男と女のお話』と切ない女心を歌ったもんばかり。そこへ“神サンが間違ってた”と飛び込んでってもねえ。作って下さったセンセには申し訳ないけど、神サンのせいにしたら売れるわけおまへん、ハハハ」

 歌手がイマイチならば、とテレビドラマに活路を求めた。

「和服が似合うと、『遠山の金さん』とか『右門捕物帖』みたいなシリーズ時代劇が多かったですね。ちょっと変わったところでは、フジテレビ系でやってた特撮『ロボット刑事』の主人公を制作した霧島サオリ博士役。中学しか出てへんのに、博士やて、こそばゆかったわ」

■サパークラブで大儲け

 芸能活動は思うような結果が出なかったが、前出のサパークラブは大当たりした。

「ミカド、月世界、ニューラテンクォーターとグランドキャバレーがまだ元気で、そのアフターでホステスさんと一緒にお客さんがよーけ来てくれた。たちまち赤坂のマンションが買えるくらい儲かりました」

 しかし、歌への思い断ちがたく、クラブを畳んで85年に「昭和任侠伝」で歌手に戻った。

「ワタシ、藤(現・富司)純子さんや若山富三郎さんが好きでね。で、任侠路線で最後の勝負に出たんです」

 これがズバリ的中! 続く「艶歌」「悲願花」「御身」も手堅く売れ、メガロポリス歌謡祭の演歌メガロポリス賞を87、88年と連続受賞。88年は日本演歌大賞演歌スター賞も獲得した。

「いい夢、見させてもらいましたわ。おかげでスパッと辞める決心もついた。あのままズルズル歌手やってたら、今ごろ大変やったと思いますよ」

 11年、同じビル6階にものまねパブ「ものまねアラジン」をオープン。小林幸子公認のソックリさん、君島遼らのタレントが連日出演している。

「司会が80年代に大活躍したお笑いコンビ『パワーズ』の小田進也クン。ガンバってくれてます」

 独身。東大阪市の実家に暮らす。

引用:“任侠演歌”でヒット 君夕子さんは10坪スナックのママに


コメントは受け付けていません。

サブコンテンツ

PR

このページの先頭へ

×